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 デュッセルドルフ豆知識 

特徴
デュッセルドルフが州都であるノルトライン・ヴェストファーレン (Nordrhein Westfalen=NRW) 州は、ドイツ16州の中で西側にありベルギー、オランダと接している。同州の人口は約1,800万人で、これはドイツ全人口の約22%に当たり、最も人口密度の高い州である。デュッセルドルフの北東に連なるルール工業地帯は、昔から鉄鋼・石炭業の中心として知られてきたが、80年代以降の産業の衰退に伴い、積極的に構造転換が進められてきた。 この結果、同州は、機械・化学・金属加工・自動車工業の分野から主要産業がサービス産業へと変換している。
メディア分野のべテルスマン社、ドイツテレコム社をはじめ、バイエル社、ティッセングループなどドイツの上位100社のうち31社が同州に本社をおいている。

「ルール地方の事務机」とも言われるデュッセルドルフの人口は58万人(2007年)で、州政府・州議会の他、ドイツの鉄鋼・機械・エネルギー分野の主要企業の本社を始め、経済団体・労働団体・工業団体の本部や多数の外国企業の支店などが所在し、州の政治や経済の中心地となっている。 加えて、自動車道路・鉄道・水運、及び航空路などの交通の要でもあり、又、ヨーロッパ先進工業地域のほぼ中心に位置するという有利な立地条件で、ヨーロッパにおける一大経済産業都市としての風格を備えるに至っている。

こうしたことから、1950年代以降、当地を中心に日系企業の進出が進み、デュッセルドルフ日本商工会議所の会員数(日本企業の子会社・支店等)は552社(2007年9月)に及び、ヨーロッパにおける日本人の経済活動の最大進出拠点となっている。 又、デュッセルドルフ日本クラブの会員数は4,403名(2007年9月)で、わが国にとってドイツ国内でもっとも緊密な関係を有する地域である。

地理・気候
デュッセルドルフ市は、地理的にはノルトライン・ヴェストファーレン州西部、北緯51度14分(樺太中央部と同じ)、東経6度47分に位置し、ライン川右岸を中心に両側に広がっている。 市部は南北約25Km,東西約14Kmで、総面積は217平方Kmである。

気候は他のドイツの諸都市とそれほど変わらないが、ライン川の影響もあり、北部ドイツまたは南部ドイツに比べ、年平均気温は摂氏10度前後と比較的温暖である。夏は通常短く、それほど暑くはないが、近年は暑い夏になり、摂氏30度を越えることも珍しくない。 冬は市内でマイナス10度近くなることもあるが、積雪は珍しい。雨量はそれほど多くはないが、年間を通じて降雨があり、日照時間は日本に比べて極めて少ないが、夏季の日照時間は長く、夜10時くらいまで明るい日もある。 湿度は他のライン川沿いの都市と同様比較的高く、夏70%、冬は80%に達する。

デュッセルドルフ小史
年代 デュッセルドルフ周辺での主な出来事 ドイツ全体の出来事
紀元前20万年〜4万年 デュッセルドルフ市近郊ネアンデルタールに原始人類(ネアンデルタール人)が存在
紀元前後 近郊都市ノイス、ツオンスなどの都市を形成したローマ人の侵攻がライン左岸までで終わり、デュッセルドルフはローマの影響を受けなかった ゲルマン民族大移動(375)、 コンラート一世最初のドイツ国王になる(911)、 オットー大帝戴冠、神聖ローマ帝国成立(962)
1158 デュッセルドルフが初めて史実に登場。ベルグ家がデュッセルドルフに勢力を拡大 大空位時代(1254−1273)
1288 現在の旧市街地区をベルグ家が領有した上、デュッセルドルフに都市のステイタスを与える ライン同盟(1254) ハンザ同盟(1283)の成立
1400 ベルグ公国最大の都市となる 金印勅書を公布(1356)
1614 相続争いの為、ベルグ公国が南ドイツのノイブルグ家の手に渡り、400年以上続いたベルグ家の統治が終わる ルターの宗教改革(1517)、 30年戦争(1618−1648)
17世紀後半 フィリップ・ヴィルヘルムがノイブルグ家の勢力を拡大し、ライン河西部のプファルツ選定侯領を引継ぐ プロイセン王国成立(1701)
1795 フランス革命軍によって占領される
1806 ナポレオンにより占領される(ケーニッヒスアレーはこの時代につくられたもの) 神聖ローマ帝国解体(1806)
1815 ウイーン会議の決定により、プロイセン王国の手に落ち、プロイセンはライン地域の首府をデュッセルドルフとはライバル関係にあるケルンに定める 対仏ドイツ開放戦争(1813−1815)、 ウイーン会議(1814)
1831 ライン船舶運行法により、ケルン市が保持していた物資集散権が撤廃され、デュッセルドルフは自由港のステイタスを回復(船舶運行が飛躍的に増加し、産業が急速に成長)
1838 ドイツで最初の鉄道がデュッセルドルフ―エアクラート間に施設される
1850〜1870 ベルギーの実業家が最初の鉄鋼業を導入し、ポエスゲン兄弟が鉄鋼業を拡大発展させた他、ハイエがガラス産業を、フリンツ・ヘンケルがメッキ産業を導入し、着実に近代工業都市へと発展する ドイツ帝国の誕生(1871)、 ビスマルク体制(1862−90)、 普墺戦争(1866)、 普仏戦争(1870)
19世紀終〜20世紀 貿易博覧会、工業・貿易・美術工芸品博覧会などの開催を通じヨーロッパの近代都市としての名を不動のものとする 第一次世界大戦(1914)
1921〜1925 第一次世界大戦の結果、フランス軍による占領統治 ワイマール共和国成立(1919)、 ヒトラー総統に就任(1933)、 第二次世界大戦(1939)
1945 第二次大戦終了。 米国軍によるデュッセルドルフ開放 ドイツ無条件降伏(1945)
1946 英国占領軍の命令により、デュッセルドルフはノルトライン・ヴェストファーレン州の州都に指定され、同時に英国型の自治制度が導入される(戦争はデュッセルドルフにも大きな被害をもたらし、約2/3の建物が破壊され、人口は激減し、戦後再びゼロからのスタートとなる) 東西ドイツ分割(1949)
1950 第二次大戦後、英国によって管理されていた空港がドイツ側の手に戻される 西欧同盟・北大西洋条約加盟(1955)
1956 オペラハウスの新改築 ベルリンの壁建設(1961)
1967 総領事館開設 テレビZDF(国営第二放送)放送開始(1963)
1981 一部の地下鉄が開通 ミュンヘン・オリンピック(1972)
1987 庭園博覧会開催 テレビ民間放送開始(1987)
1988 デュッセルドルフ700年祭 ベルリンの壁崩壊(1989)
1996 州都50周年 東西ドイツ統一(1990)